剣道試合審判規則第3条及び剣道試合審判細則第2条に定められた以外の竹刀。例えば、以下のような竹刀である。
●4つ割り以外のもの
●中に異物(先皮内部の芯、柄頭のちぎり以外のもの)が入っているもの
●折れたり、ささくれが出来ているもの
●先皮が破けているもの
●規定より長いもの
●剣先が異常に細いもの、等々
稽古を休まない。先生の教えを守り、注意されたことを忘れないようにする。初心の頃は大きく基本通りに稽古する。目先の勝ち負けにこだわらず に正しい打突を心がける。(基本動作と呼ばれるものには、姿勢・構え・目付け・竹刀の構えと納め・足さばき・素振り・掛け声・間合い・基本打ち・基本打ちの受け方・切り返し・体当たり・鍔ぜり合い・残心 などがあります。)
剣道は、「礼に始まって礼に終わる」と言われているように、特に礼儀作法を重んじ、厳格に行われてきました。剣道のような対人関係の武道は、ややもすると原始的な闘争本能のみの単なる打ち合いに陥りやすい。そのために礼儀によって人間的に統率し相手の人格を尊重することが大切になる。また、自分の弱点を打突してくれたとき、自己の力の不十分さ、技術の足らないところを深く反省して、相手が自分を直接教えてくれたという感謝の気持ちをもつことが重要で、そのために相手に対する礼儀を大切にしなければならないのである。
道場(道場がわりに使用している体育館も同じ)の出入りには必ず礼をするしきたりがある。それはその人の心構えを示すものである。入るときは「神に恥じない心で修行します」という誓いの礼で、帰るときは「ありがとうございました」という感謝の礼である。具体的な方法は、道場の出入り口に立ち、神前(神棚がない場所では上席にあたる方向)に注目して、姿勢を正し、頭を下げる。その時は、首を曲げずに、腰から体を折るようにする。その角度はおおむね30°にする。すぐに戻さずに、一呼吸ぐらい頭をさげ、静かにもとの姿勢に戻すとよい。
●垂 垂紐を中央の大垂の下で花結びにする。充分に力を入れてきつく結ぶこと。
●胴:胴の下端が垂帯の半分幅ほど隠れるようにつける。左右の紐の長さを同じにして胴が水平になるようにする。
次に、胴の下部の胴紐を忘れずに花結 びにすること。
●手拭い 面を着ける前に、まず手拭いをかぶる。手拭いは途中ではずれないようにしっかりとかぶること
●面 顎を安定させるように顔をいれ、面紐を引き締めて面が頭部や顔の部分にしっかりと密着するように着ける。左右の則頭の面紐は2本ずつそれぞれ平行にそろえる。
結び終わったら紐の長さをそろえる。(長さは結び目から40センチ以内にする。長い場合はあらかじめ切って、紐の端を処理しておく)耳の付近の面布団を開き、耳と面布団が密着しないようにする。これは鼓膜の損傷を防止するためである。
稽古中に紐がほどけないようにきちっと結ぶ習慣をつける。
ばくぜんと見学するのではなく、他人の試合・稽古や練習態度、得意技などを研究しながら、よい点は取り入れ自分の剣道に役立てて行くように見学する。特に、自分がいつも注意を受けているところや、自分の不得意な技を他の人がどのように行っているかなど、気持ちを集中して見学する。そして、自分の剣道を反省する材料にする。
剣道におけるかけ声は、次のような効果があります。大きな声を出すことにより、自らを励まし、気勢を増し、恐怖の心をなくし、攻勢に出られる。相手に驚きや恐れを与える。無心になることができる。心気力の一致をはかれる。打突の瞬間に声を出すことによって速く、強く冴えた打ちになる。
●中段の構え 攻防に最も都合がよく、理想的な構えです。剣先を相手の中心に付け、自然体の姿勢から右足を前に出し、左足をへその前に置き、握り拳ひとつ ぐらい出すようにします。
●下段の構え 八方の敵に応じることのできる構えといわれます。相手に隙があれば直ちに攻撃に転ずることが可能な構えでなくてはなりません。中段の構えか ら竹刀を下げ剣先を延長線が相手の両膝の中間に付けるようにします。
●上段の構え 最も攻撃的な構えです。相手の技の起こり頭を一刀で制する気持ちで構 えます。中段の構えから竹刀を頭上に上げ両腕が顔の前で三角形を作るようにします。左上段、右上段ともに双手と片手がある。
●脇構え 「陽の構え」といわれ、相手の出方に応じて竹刀を長くも、短くも使い分けることができる構えです。中段の構えから右足を一歩引き、手元を右脇に引き寄せ竹刀の先を水平よりやや下げ、剣先を身体にかくして相手から見えないようにし、竹刀の長さを知られないようにします。
●八相の構え 「陰の構え」といわれ、自ら攻撃を仕掛けるのではなく、相手の出方に よって攻撃に変わる構えです。中段の構えから左足を一歩踏み出すとともに左拳を右乳頭部の前に、右拳を口元の高さにします。抜いた刀と鞘が八の字をなすから八相という。また、瞬時に八方の敵に対応できるから発早とかく流派もある。
●遠山の目付 相手と対峙したときに、相手の竹刀や打突部など一カ所をだけを見つめたりしないで、遠い山を望むように、相手の顔を中心に体全体をおおらか に見なさいという教えです。
●観見の目付 観とは洞察力をいい、見とは物理的に動きを捕らえる目をいいます。両者とも相手の目を見ることが大切とされています。「目は心の鏡」といわれるように目を見ればその人の心の状態がわかります。また、目を見ることによって相手の身体全体が見えるものです。「観の目強く、見の目弱く」という教えもあります。相手を見るのに「目で見るより心で見よ」という意味です。
●一足一刀の間 一歩踏み込めば相手を打突でき、一歩下がれば相手の打突を はずすことができる。攻めにも守りにも強い基本の間合いで、同格者を相手に充分に力を尽くして稽古をするのに適した間合いである。
●近間 一足一刀の問より近い間合い、双方が中段に構えたとき中ゆいあたりまで竹刀が交わる間合いである。自分から打突しやすいと同時に相手からも打突されやすい。初心者を相手にするときなど、いろいろな技を出させて打突させるとともに、自分もまた各種の技を試みて習得するのに適した間合いである。
●遠間 一足一刀の問より遠い間合いである。相手の打突をはずすにはよいが、 自分から打突することが難しい、守るに強く攻めるに難い間合いである。自分より上位者、連続技を得意とする相手に対してはこの間合いに構え、技の尽きたところ、起こり頭、引くところなどを攻めるのが有利である。
間合いとは、相手と自分とが相対した時の距離をいうのですが、同時にこの物理的な位置関係だけでなく、心と心の関係も間合いということができる。一般に言われている間合いに、一足一刀の間、遠い間(遠間)、近い間(近間)、我が間、敵の間、心の間などがある。
●一足一刀の間 この間は一足踏み込めば相手を打突でき、一歩下がれば相手の打突をはずすことのできる間で、基本間合いとしています。
●遠間 一足一刀の間より遠い間であって、大切な試合などに用いられる。
●近間 一足一刀より近い間をいう。打突は用意であるが打突もされやすい危険な間である。
●我が間 自分の手元の勢力範囲をいう。
●敵の間 敵の手元の勢力範囲をいう。
古来より「敵より遠く、我より近く戦うべし」という教えがあるが、打ちやすく打たれにくい間合いを会得するよう努力したいものである。
●残心 相手を打突した後も気持ちをゆるめることなく、少しも油断もなく、その後の変化に直ちに応じられるような心構えをいいます。一般的には打突 の後に中段の構えにもどって相手に正対することになります。
●引き揚げ 打突の後、充分な身構えや心構えがなく相手から引き下がって縁を切ること。
注意が一つのものに停まってしまうことをいい、「居つく」ともいって、相手から打突されやすい心の状態です。
剣道形は各流派のすぐれた技を集め、剣道の技術の中において最も基本的な打突法を組み立てたものです。礼式、構え、間合い、攻め、打突、気合い、残心な ど、すべての術技ともいえるもので、次のような目的を達成することが出来る。
●正しい礼儀が身に付く。
●正しい姿勢ができ、落ち着いた態度が身に付く。
●眼が明らかになり、相手の動きや気持ちを観察できる。
●足の運びが良くなる。
●悪い癖が直り、太刀筋が正しくなる。
●気合いが錬れて、気魂が充実する。
●動作が機敏、軽快になる。
●適切な間合いを知ることができる。
●打突が確実となる。 数多く修練することによって、気品や風格ができ、気位が高くなる。
剣道の基本となる手足の捌き、気合い、呼吸、打突の機会等を修得することが出来るので剣道の稽古の際には剣道形も合わせて修行するよう努めなくてはならない。
打突すべき次のような機会を指します。
●起こり頭 出頭、出鼻ともいい動作を起こそうとする瞬間。
●受け止めたところ 相手が自分の打突を受け止めた瞬間。
●居着いたところ 心身の活動がにぶり、動きが一時停滞した。
●退くところ 相手が攻めに屈して退こうとした瞬間。
●技の尽きたところ 相手の技が一時中断し、体勢を整えようとする瞬間。
相手の「気を殺す」、「竹刀・太刀を殺す」、「技を殺す」ことをいいます。
●気を殺す 充実した気力を持って相手の気を崩して攻めることをいいます。
●竹刀を殺す 相手の竹刀を抑えたり払ったり、叩いたりして竹刀の自由に使わせないことをいいます。
●技を殺す 相手の打ちに対して先を取って乗ったりはじいたりして、相手に攻撃の機会を与えないことをいいます。
●しかけていく技 相手が打突の動作を起こす前にこちらから相手の中心を攻めたり、竹刀で押さえて隙をつくらせ、または、相手の隙を発見すると同時に打ち込んでゆく技です。
●応じていく技 相手の仕掛けてくる技を、「すりあげる」「返す」「抜く」「打ち落とす」などをして、相手の攻撃を無効にして同時にうまれた隙を打ち込む技のことです。
相手の虚実をみわけ打突する事は、なかなか困難なことである。編か極まりない試合中に今が打突の好機だと考えてから打込むようでは間に合わない。
隙を認めたときには、すでに隙がなくなっている事が多い。隙を認めた瞬間すでに打込んでいるのでなければならない。つまり打つ機会が鏡に映るように働く「勘」による以外にないのである。勘とは最も鋭敏な感覚を意味し同種類の技を繰り返し練磨している間に習得するものである。
激しい稽古を通して、はじめは目や耳の五感の作用によってのみ感じていたのが、進歩するにつれて響きなき音を聞き、形なき影を見るという霊妙な域に達するのであり、稽古にはげむことが如何に必要であるか、という事がわかるのである。
経験によって勘の出来上がった人でも、心が乱れるときは、その妙用意を失うにいたるから常にいわゆる無念無想、明鏡止水の心を保つことが必要となる。
うつるとも月も思わずうつすとも「水も思わぬ猿沢の池」という道歌の意味もここにある。
●歩み足 日常生活で行う歩行と同じ要領で交互に足を前に出す足運びで、相手との距離があり、送り足では間をつめるのに時間がかかる時に用います。
●送り足 最も基本的な足運びで、進行する方向の足から移動を開始して、ついで他方の足を移動した足に引きつける動きです。
●開き足 相手の打突を、身体を左右にさばいてかわすのに用います。
●継ぎ足 後ろ足を前足に引きつけ、前足から前進する足運びで、相手との距離が遠くて打突が届かないとき、間を盗んで大きく踏み出すために用います。
ふつう「放心」というと、心がぼーっとしてまとまりのない状態をいいますが、剣道でいう「放心」とは、どんなことにも対処できるように、心をとき放ち、何ものにもとらわれない心をいいます。
明鏡止水とは、自分の心から四戒などの邪念をとり払い、心が明らかな鏡のように澄み切っていれば、静まりかえった水面が月を写すように、相手の隙や心が自然に自分の心に映るということをいう。
平常心とは、平常の心、すなわち人間本来の心の状態をいうのである。人は事に臨んで心が動ずるもので、平素の心でこれに処することは、困難なことである。剣道は対人動作で自己の働きだけのものでなく、相手の動きによって自己の動きが決定されるのであるから、技術的には極めて複雑なものである。剣道では平常の心を保つことができるよう、平素の鍛錬等を通じて心がけることが肝要である。
また、柳生新陰流の伝書の中では、「何もなす事なき常の心にて、よろづをするとき、よろづの事、難なくするとゆくなり」と説かれ、さらに「此の平常心をもって一切の事をなす人是れを名人と云うなり」と、平常心は名人の境地であるとしている。
基本的な構えに中段や上段があるが、自分の構えにこだわったり、相手の構えを考えすぎたり用心をしすぎたりすると、自由な動きができなるものです。構えはあってないのと同じで、最終的には勝敗というものは心の闘いが左右するので、構えにこだわらずに、心の内の構えが大切であるという意味です。
不動心とはいかなる場合にのぞんでも泰然自若として、心を動かすことのない状態をいう。
人は平生と異なる場合、必ず心に変化が生ずるものである。
たとえば公衆の面前とか、畏敬する人の前に出る時など顔色が変わったり、緊張したりして何か言うことがあっても思うことの半分もいえないなど、平常の心を失うことは、よく経験することである。
剣道を学ぶ者が勝負に臨む時などは、平常の心に動揺が生じるものである。真剣勝負などともなれば、なお更のことであろう。それゆえに心胆を養い、物事に動かされない心を持つよう常に工夫しなければならない。
手の内(てのうち)とは、竹刀の握りと教える場合がありますが、竹刀を操作する掌中の作用であり、両手首・両手の指を最も効率的に使う動きのことをいいます。手の裡(てのうち)とも書きます。
●具体的には
(1)柄を持つ左右の手の持ち方
(2)力の入れ方
(3)打突の際の両手の緊張の状態と釣合い
これらを総合にしたものである。
●持ち方
左手は柄頭から小指が出ないように持ち、右手は鍔にふれない程度に一ぱいに持ち、左右両手とも拇指と小指と薬指とで握る。
肘は伸び過ぎず、両腕の各関節を柔らかくして軽く柄を握り、濡れ手拭を絞る心持で両手首を絞り入れ、左右の親指と人差し指の割れ目が、竹刀の弦と一直線になるようにする。
古道歌にも、「右をさき、左をあとにやんわりと手拭を絞る心にて持て」とある。
●力の入れ方
両手の小指は普通に握りしめ、薬指、中指の順に力をゆるめて握る。
剣先を揚げないようにするため、拇指で軽く押さえる。手の内は鶏卵を握るような心持で、軽く柄を握る事が大切である。
右手に力が入り過ぎず肩や腕に力を入れないようにする。左手六分、右手四分の割合に力を入れる。(右手は副え手といわれる位力をぬく)
●両手の緊張と解緊
打突した際は、両手の手の内に均等に力を入れ、左右いずれにも偏しないようにすれば、釣り合いが取れて正しい打突ができる。
打突のときは両手の手首を中心線に動かして、内側に濡れ手拭を絞る要領で絞り、十分伸筋を動かす。
打突後は直ちに緊張をゆるめて元に復し、次の打突が容易にできるよう、準備をすることが大切である。
修練の過程を示した言葉。守は師の教えを守りひたすら基本を身につけること。破は今までの教えを基礎として自分の個性を活かし、自分自身のものを創造する段階。離は最初の教えから外れるのではなく、それを中核にして自由自在に行動し、教えを乗り越える段階をいいます。
虚とは相手の守りの弱い状態(守りの薄い)のところ、実とは強いと状態(十分守っている)のところをいいます。
実を避けて虚を打てという教えです。相手の虚実はこちらからの攻め方(誘い方)によっても変化します。その虚実の変わり目を打つことが大切です。
●先の先(先々の先) 相手の思惑を素早く察知して、相手が動作を起こす前に打つことをいう。
●対の先(先・先前の先) 相手の思惑までは察知できないが、打突してくる起こり頭をとらえたり、相手の技が功を奏する前に、すり上げたり返したりして勝ちを制することを言います。
●後の先(待の先・先後の先) 相手に「先」を仕掛けられて、それに応じる場合をいいます。相手の打ってくる技をかわしたり、打ち落としたりして相手の気持ちの萎えたところや、体の崩れたところを打つことをいいます。
●すり上げ技 この技は、打突してくる相手の竹刀を左または右にすり上げて、相手の打突を無効にすると同時に、隙の生じた相手の打突部位を打つ技である。
●返し技 この技は、相手の攻撃に応じ、その力を利用して応じた反対側に、竹刀を返して打つ技である。
剣道の四戒は驚(きょう)・懼(く)・疑(ぎ)・惑(わく)のことをいい、剣道の四病ともいう。
「驚」とは突然予期しないことが起こって心が動揺してしまうことです。
心身に混乱を起こして正確な判断ができなくなります。「懼」は恐怖心が起こることです。
心身が硬直して十分な活動ができなくなります。「疑」は疑いを持ち注意力が心の中で停滞してしまうことです。「惑」とは惑いが起きて、敏速な判断ができなくなり、動作も緩慢になってしまいます。
このような心の動きが、剣道において平静な気持ちが乱れて、呼吸も混乱させてしまいます。
この四つの心の病気を起こさないように修行する必要があります。
無念無想(むねんむそう)とは、簡単に言えば、よけいな事を何も考えない心の状態をいいます。
剣道では、四戒または四病ともいう驚(きょう)・懼(く)・疑(ぎ)・惑(わく)といった心の混乱や、自分の気持ちが一時的に止まって瞬間的動作のできない心が居着く状態、狐疑心といった疑い深く進退の決心がつかない心、勝敗や自分の利己的な考え、これらの自由な心、体の動きを阻害するこまった状態から解放された、まさに明鏡止水の心境をさす言葉です。
虚実(きょじつ)の虚とは相手の守りの弱い状態(守りの薄い)のところ、実とは強いと状態(十分守っている)のところをいいます。実を避けて虚を打てという教えです。相手の虚実はこちらからの攻め方(誘い方)によっても変化します。その虚実の変わり目を打つことが大切です。
修養を積むことによって、自然に備わる気品、心や技に修錬の結果がにじみ出てくるもので、他人の犯すことのできないものである。
気位の高い剣道とは、
●気力が充実していること。
●真剣であること。
●正しい剣道、理合にかなった剣道であること。
●気剣体一致の打突であること。
●残心のあることをも忘れてはならない。
剣道では、「気」に働きが、心を充実させ積極性を盛り上げ、同時に身体の旺盛な動きを作り出します。
「剣道形」で「気位」がとくに強く要求されるのは、剣道形が剣道の業(技)と精神との一体を尊重しているからです。外見上これという「形」にあらわれるのではなく、見る者にひしひしと迫る「気」の充実を高い気位と言います。段位、称号の高低をいうのではなく、ここでは、心身の修業鍛錬を積み、正邪善悪をわきまえ、勝敗にこだわらず、活気全身にみなぎり、不敗の信念を持って立ち向かうときには、自然に態度が堂々となり品位を備えたものとなります。
剣道修行の大事な要素をその重要度に応じて示したもの。
●一眼 相手の思考動作を見破る眼力であり洞察力である。
●二足 技の根元は足であり、足の踏み方使い方は剣道で最も重要視さ れる。
●三胆 胆は胆力であり度胸である。ものに動ぜぬ胆力と決断力であり 不動心の意味である。
●四力 力は体力ではなくて技術の力であり、わざ前のことである。
剣道はすべて技術だと一般に思われているのに、技術を最後に持ってきたところにこの教えの尊さがある。
剣道試合の審判とは、両者の勝敗を裁決することである。剣道の試合は、剣道発展のための方法であり手段である。従ってその審判は、剣道の正しい発展に沿ったものでありその発展に役立つように実施されなければならない。
(1)審判の意義とは
審判とは「審(つまび)らかに判定する」ということである。 何を審らかに判定するかといえば、大体次の6つの内容である。
(イ)打突部位
(ロ)間合
(ハ)理合
(ニ)強度
(ホ)刃筋
(ヘ)残心
以上6つの要素・要件を瞬息の間に審らかに判定するのが審判である。従って審判員は心技共に卓越した者でなくてはならない。
(2)審判員の資格(精神面、技術面、健康面)
(イ)公正無私の人であること。
(ロ)冷徹・果断・信念の人であること。
(ハ)中正で一貫性の持続できる人であること。
(ニ)剣理に精通していること。
(ホ)審判規則を熟知し、いかなる事態も一瞬に解決できる能力を持つこと。
(ヘ)十分な修練を積み、豊かな経験を持っていること。
(ト)肢体健全で体力十分なこと。
(チ)正視・正聴であること。
(リ)言語明晰であること。
(3)審判員の使命を自覚すること。
剣道審判の適否は、剣道の興隆発展につながると同時に、ま た 逆に剣道の混乱、堕落を惹起するものである。従って審判員の審判は、常に日本剣道の命運がかかっているという使命感に徹し、その自覚のもとに厳しく自己を律しなければならない。
(イ)審判員は試合者の生命をあずかる者であることを自覚 すること。
(ロ)剣道審判の困難性を自覚すること。
(ハ)審判修練の必要性を自覚すること。
(4)審判員の権利と義務を遂行すること。
審判に対しては、何人であっても異議を申し立てることは許されない。従って審判員は、その権利を正しく行使するとともに、その義務を完全に遂行しなければならない。審判は絶対であると、その権利を主張するならば、その絶対に値するだけの義務の遂行、つまり審判員としての資格を備える努力と研究をすることである。
(5)審判の威厳を落とさぬこと
(イ)服装が端正であること。
(ロ)態度が厳正であること。
(ハ)裁決が果断であること。
(ニ)審判員の礼法は厳正で実践示範すること。
つば競り合いに入った場合で、適正に行われていて、技を出そ うとして競り合っているが、双方どうにも技を出せない状態を膠着という。
心身共に発達途上にある少年を指導するに当たっては、特に次 のような事項に留意することが望ましい。
(1)常に基本を重んじて指導すること。
(2)仕掛け技を主に指導する。
(3)稽古の目標を試合中心、鍛錬中心に置きすぎないように指導する。
(4)「剣道は礼に始まって礼に終わる。」ことから、日常生活においても礼儀を正しくするよう指導する。
(5)健康、安全、衛生に注意して稽古するように指導する。
(6)無理をせずに、鍛錬と休養のバランスを充分考慮して指導すること。
(7)発達段階に応じた指導をすること。
(8)気力、忍耐力、集中力、協調性、礼儀、信義、敬愛、奉仕などの自立心や社会性を稽古、合宿、大会、試合などの行事を通じて 養成する。
(9)稽古や鍛錬が単調にならないよう興味を持たせる工夫をして指導すること。
「剣道の理念」剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である。
したがって、一生が修業であることを自覚して、常に真剣な気持ちで修業することが大切である。
素直な気持ちで師の教えに従い、基本と応用に熟達するよう修業し、稽古の積み重ねと心の工夫に努める。
こうした鍛錬的な実践と同時に、剣道を取り巻く理論的な研究を深め、形の習熟などによって理合を認識し、心身ともに健全な生活を送ることが大切である。
剣道形は、先人の英知を尽くして創造したものであり、長い歴史の過程で、理合や精神面に深い内容を持つまでに発達したものである。
日本剣道形を正しく継承して次代に伝えることは大きな意義があり、また、私たちの使命である。剣道形を繰り返し修練することによって、剣道の基礎的な礼儀作法や技術、剣の理合を習得することができ、さらに内面的な気の動きや気位といった剣道の原理原則をも会得できる。
このように剣道形は、剣道における規範となるものであることを深く認識し、平素から日本剣道形の修練に努めることが大切である。
剣道の基本技術を習得させるため、「竹刀は日本刀」であると の観念を基とし、木刀を使用して「刀法の原理・理合」「作法の規範」を理解させるとともに、適正な対人的技能を中心に技を精選し指導する。
「打ち込み稽古」は、元立ちの与える打突部位を捉えて、打突 の基本的な内容に留意しながら繰り返し打ち込んでいくなかで、打突の基本的な技術を体得する稽古法である。
「かかり稽古」は、打突の成否など一切念頭に置かず、積極的に相手を攻め崩して打突の機会をつくり短時間のうちに気力、体力の限りを尽くして、全身を使って大きく伸び伸びと「しかけていく技」を用いて打ち込む。技術と心肺機能の向上を図り、気力や体力を練りあげる稽古である。
●打ち込み側 元立ちの与える打突の機会を逃さず、瞬時に気剣体の一致の打 突を行わせる。
ひと打ちごとに充実した気勢で打突させる。
常に次の打突の機会に備えるよう習慣化させる。
●元立ち側 気を抜かず、常に合気になって対応させる。
間合いに留意し、打突の機会を的確に与え、正しい打突を引き立てるようにさせる。
単調な打突動作の繰り返しにならないように、各種の技を施すことができるよう変化のある対応を工夫させる。
主審は、当該試合運営の全般に関する権限を有し、審判旗を持って有効打突および反則などの表示と宣告を行う。
副審は、旗を持って有効打突および反則などの表示を行い、運営上主審を補佐する。なお、緊急の時は、試合中止の表示と宣告をすることができる。
試合者に不適切な行為があった場合は、主審が有効打突の宣告 をした後でも、審判員は合議の上、その宣告を取り消すことができる。
宣告は、「取り消し」。旗の表示方法は、 両旗を前下で左右に振る。
受け方は、相互に中段の構えから、機を見て剣先を右に開いて正面を打たせる。
ただちに連続左右面を後退または前進しながら打たせ、打ち終わったら双方が中段の構えになるように間合いを充分にとって、直ちに剣先を開いて正面を打たせる。
この「正面→連続左右面→正面」の動作を数回繰り返す。
初心者に対しては面打ちを引き込むように受け、技量の上達したものには打ちを落とすように受けるなどする。連続の左右面を受けるときは「歩み足」で受ける。
竹刀を垂直にし左拳をほぼ腰の高さ、右拳をほぼ乳の高さにして、両拳が上がりすぎないように注意する。
指導上の留意点では、次のような切り返し五則という教えがあり、それを守って行う。
●大きく正しく、常に刃筋を正しく打つ。
●正しい間合いを守りながら前進後退をする。
●左手の拳は常に体の中心にあって、面を打ったときには右手はきちっと伸ばす。
●体で調子をとって打つのではなく、気剣体を一致させて打つ。
●太刀の返りを利用して打つ。
有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋を正しく打突し、残心あるものをいう。
他のスポーツのルールに比べて剣道の有効打突の規定は非常に漠然としているといわれるが、それには深い意味がある。すなわち、有効打突の基準は試合者の技術段階、体力、年令その他によって変わってくるので、指導者はどの基準を採択するかについて充分配慮しなければならない。
気剣体一致とは、「気」は気力、気合いのことで、「剣」は竹刀捌きのことで、「体」は体捌き、体勢のことである。
これらが一致してはじめて有効な技、調和のとれた動作となる。充実した気合いで、竹刀捌きと身体運びが一致してはじめて冴えのある打突ができるのである。
気剣体一致の打突は、剣体一致の動作を充実した気力で行うことで修得できるが、そのためには、腰から運動を起こし、打突と足の踏み込みと腰入れとをタイミング良く一致させるよう修練することである。
懸待一致とは、攻めることと、守ることがたえず密接な関係をもって行われることである。
懸中待、待中懸ともいい、懸かる中に防ぐ技が含まれ、待つ中に懸かる気が含まれていることをいう。
懸かる間に、相手の出ようによっては、どんなにも応じられるようにし、また、待つ間にも、相手の技の尽きたところをよくとらえ直ちに打突していく。これを懸待一致というのである。
●審判の目的 審判の目的は試合・審判規則を正しく運用し、「試合による全ての事実を正しく判断し、決定する」ことである。
●審判員の任務 審判員の任務は適正な試合運営に努め、試合の活性化を図ることである。さらに、審判員の「使命は何か」「任務は何か」「資格は何か」を自覚する必要がある。
審判員の判定には絶対的な権限が与えられている。したがって、審判員は独善や主観ではない、妥当性と客観性に基づいた自己の心の決断によって判定しなければならない。
そのためには、自らが稽古を積み重ねて自己の技術を高めるとともに、審判技術の向上に努めなければならない。
正面打ちは、すべての打ちの基礎になるものである。正面の基本的な打ち方は、両腕の間から相手の面が見える程度に竹刀を振りかぶり、右足より踏み込んで相手の正面を打つ、面に竹刀が当たると同時に右足が着地する。
●留意点
(1)一足一刀の間合から打つ。
(2)振りかぶるとき、手の内を変えない。
(3)両拳が正中線上にあること。
(4)打ったときの右拳は、肩の高さ、左拳は水落ちよりやや高いぐらい。
(5)振りかぶることと、打つことが一挙動(一拍子)で打つこと。
(6)振り下ろした時腰を引かない様に、相手に腰から体当たりする様な気持ち で、大きく充分に腰をいれて打つ。
(7)打った時、もの打ちが正確に相手の正面に当たること。弦が下になったり、竹刀の横で(平打ち)打たない。
(8)正しい姿勢と充実した気勢で打つ。
(9)面布団にかかるように打つ。
(10)大きく踏み込んだ右足に、素早く左足を引き付け重心 を安定させて残心をとる。
癖は、無くて七癖と言われるように、すべての人にくせはあるが、剣道では技癖はなかなか直らないので、最初から癖がつかないように基本をしっかり身につけさせることが肝心である。
癖技とは、基本から外れた技である。したがって、癖技を使っていたのでは、剣道の上達もおぼつかないので、剣道では良い指導者から注意を受けながらそれを直していかなければならない。
癖は、自分では分からないので、他人から教えてもらわなくては直しようがないものである。したがって、剣道の修行に当たって素直に人の注意を聞く耳をもたなければならない。
剣道修行には素直な心が求められるのである。また、試合において、相手の癖をすばやく見抜き、強いところを避け、弱いところを攻めるのが勝ちを制するための基本である。
理は、理合いのことを意味します。事は、技のことを意味します。
剣道を行うにあたって、理合いにかたよってもいけないし、技にかたよってもいけない。理合いと技とを一元的に修練することが、理事一致である。
「心の隙」・「技の隙」・「身体の隙」のことを言う。
●心の隙 油断したり、剣道でいう四戒などの気持ちになった時の隙のこと。この隙が現れないようにするためには、不動心・平常心を養うことが大切である。
●技の隙 技の起こり頭や技の尽きた時の隙のこと。出ようとするところや退くところで、隙が生じないようにすることが大切である。
●身体の隙 技を出したり、打突に失敗したときなどに体勢が崩れて十分な残心が取れないような状態のこと。
●剣道の意義、目的など、その本質をよく理解し、それにあった指導を行うこと。
●自己の人格の完成を目指し、常に技量の向上を心がけること。
●指導目標を立て、指導を受ける者にとって、最もふさわしい方法により組織的に指導すること。
●初心者に対しては、正しい剣道を身につけさせるよう留意するとともに、興味を失わせないようにすること。
●上位者に対しては、技と理論を併行して指導し、真の剣道を理解させること。
●日頃から剣道に関する書物を読むなど見識を高め剣道に関する研究を怠らないこと。
●確固たる信念と情熱の持ち主であること。
●愛情を持って誠心誠意指導にあたること。
●教えることに喜びを持つこと。
●人格を養い、技能の向上に努力すること。
●能率的・合理的な指導法の研究を常に心掛けること。
●指導を受ける者とともに修練すること。
●審判技術に熟達すること。
●自分の教えをうまく表現する能力を養うこと。
●指導を受ける者の持つ個々の優れた才能を見つけることのできる指導者としての目を養うこと。
●指導のし過ぎにならぬよう留意すること。
狐は疑い深い動物で、狩人に追われたときに逃げ場に困り道に迷っている間に脇に回られて狩人に撃たれてしまうことがあります。このことから、狐のように疑い深く進退の決心がつかないことをいい、剣道における戒めのひとつです。
相手を打突した後も気持ちをゆるめることなく、少しも油断も なく、その後の変化に直ちに応じられるような心構えをいいます。一般的には打突の後に中段の構えにもっどて相手に正対することになります。自分の打突が有効打突にならなくとも、気を緩めず残心をとって相手の反撃に応じることができなければなりません。また、試合では、有効打とつと審判が判定しても、残心がなければ合議の上、取り消すことができる試合規則になっています。剣道において残心はなくてはならない大切な心と体勢です。
当該試合を運営する。
主審は、当該試合運営の全般に関する権限を有し、審判旗を持って有効打突および反則などの表示と宣告を行う。
副審は、旗を持って有効打突および反則などの表示を行い、運営上主審を補佐する。なお、緊急の時は、試合中止の表示と宣告をする ことができる。
身を捨てたときに、はじめて浮かび上がってくる機会がある。相手の隙を見るやいなや、躊躇することなく身を捨てて打ち込んでいくことにより、勝ちを得ることができる。この時に、自分が打たれるなどという、弱い気持ちが起きてはいけない。
●すり足で行う。
●音を立てない。
●前進するときは前足から、後退するときは後足から動作を起こす。
●後ろ足は残さず、前足に伴って引きつけるようにする。
剣道試合審判細則規則第15条に「場外」は、次のとおりとすると定められている。
1. 片足が、完全に境界線外に出た場合。
2. 倒れたときに、身体の一部が境界線外に出た場合。
3. 境界線外において、身体の一部または竹刀で身体を支えた場合。
切り返しは、準備運動、整理運動の代わりにもなり、手の内、間合、足さばき、気合、など基礎的なものを身につけると同時に、気力を養うのにも役立つ連続の基本動作とわざを組み合わせたものであるため、 一つ一つのわざを身に着けると同時に、連続した動作の中でも、決して崩れないように自分自身の体に教え込むため。
●構え方
右足をわずかに出して、右手で竹刀の柄の鍔元を上から握り、蹲踞しながら、斜め上から竹刀を抜き左手で柄頭を握って抜き合わせ、左足を引きつけて蹲踞し、立ち上がって中段の構えになる。
●納め方
中段の構えから蹲踞し、左手を竹刀から離して腰にとり、右手で剣先を左上から斜め後方に回し、弦を下にして腰にあて、左手で竹刀を握り、右手は軽く腿の上に置いて立ち上がり、帯刀の姿勢になる。弦を下にして腰にあて、左手で竹刀を握り、右手は軽く腿の上に置いて立ち上がり、帯刀の姿勢になる。いずれも、相手と合気になって行うことが大切である。
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